エトワールナゴヤ
1975年頃から、愛知学院大学、名古屋学院大学、名城大学などが中心となって始まる。そもそもは、各大学の3、4年生が自校の定期演奏会が終わったあとに、弾き逃した曲や再度弾きたい曲を持ち寄って開く演奏会というコンセプトであった。80年代に入り徐々に主催校が名城大学単独に移り、代表者が名城大学の3年生の指揮者(当時の肩書では副指揮者)となり、開催月が3月に固定された。
その中で内容も変化していき、新しい試みを自由に行う演奏会となっていく。第9回では、特別企画ステージとして横内紀夫氏(1970年第2回日本マンドリン独奏コンクール第4位。「横内の花子」マンドリン製作者)のマンドリン独奏(なんとピアノ伴奏は藤掛廣幸氏!)があったり、テレビ番組「夕焼けニャンニャン」華やかしき頃にはひとつのステージをおニャン子クラブ編曲作品で構成したり(現在と違い、演奏会のひとつのステージを歌謡曲で占めることなどありえなかった)、エトワールのために新曲を委嘱したりということが行われた。
特筆すべき事項
指揮者ハメ
普段は指揮者に支配される奏者たちの反撃。秘密裏に計画され、本番で指揮者を驚愕させる。
- パストラル・ファンタジー(以前は「パストラーレ・ファンタジー」と言ってましたね)で、冒頭の「ミーレーミーレー」が永遠に続く。
- 曲中で突然仮装した数人が乱入して、指揮者のまわりでジャマをする。もしくは、指揮者のマネをする。
- 曲中2ndマンドリン奏者がカップラーメンを食べ始める。(ヒマだから)
- いきなり終わる。
- 女性指揮者に卑猥な言葉をあびせる。実際これで泣いてしまった子がいる。かわいそうに。